バニラチルノ

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カレーライス



人間の寿命など知らないけれど、私は何歳まで生きればいいんですか?私の寿命は何歳ですか?それは自分で決めていいものですか?自分で決めた寿命通りにいなくなってもいいですか?


とある人が、俺は27で死ぬことにすごく憧れがあるといっていた。クラブ27。明確な理由と理由が出来てからの期間が長いことは羨ましいと思った。人生設計の上でのそれだと思ったから。それを聞いたとき、早すぎるんじゃないかな、私はあなたにもっと生きていてほしいなって思うのはエゴでしかないんだよね。本当に27で死ぬのかなんてわからないし本人にとってはそれが夢なんだから叶うことは喜ばしいことなのかもしれないけどそれでも死んでいくことについて後悔とかやり残したことがあって死ぬのを躊躇って欲しいなと思ってしまうよ。まだ生きていたいって思って欲しいよ。その人と私が一緒に生きていくことはないだろうになにを無責任なって思うかな。思うよね。それでも生きていて欲しい。ただのエゴだけどね。

君はどうなのって聞かれたときに私が考えた寿命は26。お母さんが私を産んだ歳。愛されている実感がどうしても持てないし今後の人生で何かが変わると思えなかった自分が設定した寿命は思ったより早く来そうだ。寿命を初めて考えたときからもう5年もたつ。寿命が来てないから死んでないのか死にたくないから死んでないのかは私にはわからないけど、26になったら私は死ぬんだろうか。それは26の私にしかわからないけど。もう少し生きていてほしいけどそれは俺のエゴだねってその人は言ったけど、その人と一緒に生きていくことはおそらくない。そんなもんなのかな。そんなもんかな。どうなんだろうね。同じことを思っているのに、結局二人とも寿命の設定を変えることはなかったな。



決定された未来なんてないけど、固まった思考はなかなか頭の中から消えてくれない。とりあえずそうだな、物心ついた時からカレーライスよりハヤシライスの方が好きかな。




922バカの日






今年も一年で一番バカになる日が終わりました。まだ生きてたんだね。でも生きててよかったって思ったよ。ほんとだよ。帰りのバスで安定剤をがばがば飲まなくていいくらいには生きててよかったって思うよ。


バカの日。亡くなった誰かを忘れられない誰かがバカになって大騒ぎ、の日。今年の開催を知った時、いつもはワンマンなのに今回はスリーマンで、今年初めの約束通り入場料が無料のフリーライブ。全部は見てないけど、私の周りでは始まる前より終わった後の方がワンマンがよかった、だとか変わっちゃったね、だとか聞いた気がする。一部だから総意見ではないよ。私は聞いた時はえって思った。私には知り得ない事情もあるだろうしたくさん大変なことがあっただろうし文句いうなら来るなってかんじだし、ね。でもみんながみんな思ってることを全部汲むのは難しいし今回のライブ終わってみて私は行ってよかったしいいライブだったなって思ったよ。この日になるとほんとうにいなくなってなおこれだけ愛されてる人がいるのだなと思って苦しくなるのだけど。そういうふうになりたいとは思わないけどね。でも誰かを想う気持ちが形を作ってそこに人が集まって、文句もあったけど、形は変わってしまったかもしれないけど、それでも誰かを想う気持ちは変わってないと思う。それをいとも簡単に劣化というのはやめてほしいな。劣化は個人の価値観であって主観だよ。それを常識みたいに言うのはやめてね。


ほんとうに楽しかった。いつも泣いちゃってぐちゃぐちゃになっちゃうけどちゃんと笑顔だったと思うよ。いつでも寄り添ってくれるのがほんとうは嬉しくてたまらないんだよ。余計なこと考えちゃうけど。ビール一気とかしたけどバカの日だから笑って許してね。また来年もバカの日みにこれたらいいなあ。きっともっと形は変わっちゃうかもしれないけど、でも気持ちが同じなら私はずっと楽しみだと思うよ。









しあわせは創作の邪魔をする、ってよくいうよな、って思って、じゃあなにも思いつかない今はしあわせなのかな、しあわせなのに創作ができないのは全然しあわせじゃないな。他人との間に関係を求めてしあわせを得ようとするなんて全然まともじゃないし全然しあわせな人ではないんじゃないかな誰かとどうこうなったって所詮いつか終わるよ。それでも繋がりたいとか思うのかな携帯で文字を打つのをやめたら切れるような関係性をほんとうに求めているのかなしあわせとふしあわせを繰り返してるつもりだけどそれはほんとうにしあわせかなそれはほんとうにふしあわせかなほんとはなにもないんじゃないかな夢を見てるんじゃないかな好きな人ができたから生き延びたいなんて気持ちはなくなっちゃったし好きだった人には私が死んでも絶対に悲しまないで、それから誰よりも自分のことを大事にしてねって言ったけどそれが本音かなほんねなのかもしれないね。医者が言うひとつでもしあわせなことがあるならそれだけ楽しみにしてればいいじゃんっていう言葉は不可能なことをわかってて言ってるのかな性格は薬で治せるのかなひとつでも楽しみがあるのに死にたいっていうのは甘えなのかなわかんないなわかんないやどうせ誰になにを言われても意見を覆せない頑固者だから厄介よね。ほんとうにね、頭がよかったらよかったのにね。









誰かが自分のそばから離れる時、多分ばいばいなんていってくれないしなにもなかったあとにいなくなってしまうし自分から離れたいと思わせる原因は多分こちら側にあるのに離れてしまったことがさみしい、なんて思ってもって感じだしそもそも誰かが離れてしまったことを知らない場合もあるしそうやって世界は形を変えていくんだけど私の心はいつもぐちゃぐちゃで形を変えられるのが嫌な気もするし形なんてはじめから知らないかもしれないし。最初から誰も側になんかいない気もするし。私だって最初からいない気もするし、全部嘘かも全部夢かも全部錯覚かもしれないね。虚構であったとしてもそれを知りたくはないような気もしてる。半分に割られた安定剤、わざわざ違う袋に入れられてるのに結局2つ飲んじゃうから安定剤を2つに割った人の労力全て無駄にしてるんですよ。それから約束も破ってる。診察室で本音を喋れたことがないし本音が何かそもそも自分でもわかってないかもしれない。全部フィクション、ノンフィクションに見せかけたフィクション。虚構。はじまってもないのに終わりを想像するのもうやめなよ。期待するのはもうやめなよ。他人に期待する前に自分に期待しなよ。できもしない期待に心拍数を上げるのはもうやめなよ。自分が嫌な顔をするのを待って文句をいってこようとする人の顔を見て悲しくなるのはもうやめなよ。全部やめちゃいなよ。自分の気持ちにほんとなんてないかもね。全部自分でつくりあげてるだけかもね。愛してほしいとかいって、ほんとは放っておいてほしいのかもね。寂しさ、なんてほんとの寂しさも知らないくせによく言ったもんだよね。毎日毎日毎日毎日同じところで同じ人と顔を合わせて知らない誰かに同じことを同じ表情で言って知らない誰かに昨日も聞かれたこと何回も話されてあたかも今日初めて聞きましたみたいな素振りして笑って笑って笑って、笑って。笑ってほしいな。ほんとは笑ってほしいな。本当に楽しいと思って笑ってほしいな。何の感情もなかった過去の人が夢に出てきても連絡を取ろうなんて思わないし連絡先はとうの昔に消したしそれでも寂しくてたまらないんだね。ここにいるのかもわからないのに、寂しくてたまらないんだね。死にたいなんて思う暇もないくらい寂しいけど自分がどこにいるのかわかんないや。自分みたいな人を見て安心したいのかな。他人のことも自分のこともよく知らないくせに。








遺書




解像度が低い恋情というものに狂わされてばかりの人生、せめて、せめて本物である根拠がほしいだけなのに

滑り台の下に地獄があって為す術もなく地獄に落ちる



3日と4日の話は後で元気なときに絶対かきたいのであとでかくとして、ここ一週間くらいのことをざっと。


多分ね、五月病です。もう6月だけど。6月はいってバイト始めて、人間関係というか自分以外のバイトの人との関わりが本当に苦痛で、仕事はそんなに難しくないしむしろ結構楽しい。けど、バイト以外でバイト仲間と関わりたくないどころかバイトでも関わりたくない。本当に、自意識過剰なんだろうけど、わりと顔も見たくない。こっちからコミュニケーションをとろうとはするんだけど、それに対する返事がどれもこれも精神的ストレスになる。多分合わないんだろうなあと思う。だからやめますっていうと甘えっていうでしょ?でも現に薬の量は増えてて、本当に次の日にバイトあるときは明日なんて来なければいいのになあって思う。でもそれ以前からかもしれない。ここ最近、一週間ちょいくらい薬に頼らざるを得ない状況。規定量でなんとかなるわけでなく。原因なんかわからない。でも本当にしんどい。死にたいとか思わないし、楽しいとも思わないんだけど、生きてる意味なんてないといわれれば、じゃあ死んだら駄目なわけでもなくね?と思ってしまう。世界中の人間の中の私のことを認知してる人の中で例えば私が弱っているときに心配してくれる人の割合を考えてみてよ。多分ねえ、いて0.01%とかなのでは?そもそも弱ってることを知ってる人すら多くないと思うけど。まあそんなこんなで、つらいんですけど、床に落とした卵の中に黄身がふたつはいってたくらいつらいです。んでその原因なんですけど、なんなんでしょうね。恋愛的な意味で死にたいとかならないので、自己否定の塊なので、んで五月だから、五月病なのかなみたいな安直な考えです。悲しいひとが、普通の生活をしていないわけじゃないんですよ。普通のひとが、自己否定しないとも思えない。


難しいなあ。もし過去に戻れたらどうする?私は、過去に戻れたとしても、今の時間軸でもどっちでもよくて、どっちにしろ、今でも過去でも、どっちでもそうだ死のうっていいます。でも最近は死ぬことすらめんどくさい。生きたいというわけではないけど、なんかもういいやんってかんじ。リスカの余力すらないので薬飲んで意識朦朧の中でTwitterでもやってねます。それでも次の日がバイトだからって規定2錠いつもは10錠飲んでても起きれなくなるから4錠にしとこうとかなるんですよ。偉すぎる。そしてばかすぎる。まあまあ落ち着いて。ゆっくりそこの輪っかに首をかけて、それでゆっくり重力に従ってみて、ってなるじゃん。なんなんだこのよのなか。でも悪いのは自分なんですよ。死ねってか。



そんでせっかく4錠にしたのに、ぎりぎり寝坊しなかったのに、バイトはさぼった。多分もうやめるんじゃないかな。好きなことのためにお金稼ぐより、まわりの目が苦痛だったのかもしれない。誰もお前のことなんかみてないよ。死んでも誰も気にしないと思うよ。好きな人にお前はすぐとっかえひっかえするしすぐ飽きるし誰でもいいんだろって言われても、そのとっかえひっかえに苦痛が伴ってるとかは思わないのかなあ。まあそうだよねえ。どうでもいい人間のことそこまで考えないよねえ。とっかえひっかえっていっても、別に誰からも一瞬でも愛されてないんだから寂しいよな。



保健所にいったんだけど、カウンセリングに期待してないっていってもそれでも期待してるから痛い目見るんだよいい加減学習してくれ。殺処分される子たちはこんな気分なのか?新興宗教にでもはまったらしあわせになれるのか?でも別にしあわせになりたいとかではないし楽になりたいって感じ。そんで馬鹿みたいに今から心療内科にいくんだよ。期待してないっていいながら予定時間待ったりしてさ。



病名の存在しない甘ったれクソゴミニートちゃんなのでパン食って昼寝する。










充電器を突き刺す




月のはじまりにいつもやばっておもってブログ書いてるけど、そもそも許可もなく月をまたいでいいと思ってんのかよ。この記事は3月のわたしがかいてます。そういうことにしてください。


明日の夜から東京です。明後日が東京。次の日が名古屋です。東京の場所が、まわりがラブホテル、ソープ、風俗店の数々。らしくて。その話をしてきた知人は一体わたしに何を伝えたかったのかあんまりわかりません。名古屋は、サカエスプリングです。栄。名古屋じゃなくて栄。どっちなんだ。今月は3回も東京にいくけど、自分で予定立てたのにめちゃくちゃびっくりしてる。俺都民かもしんない。しらんけど。全然関係ないけど小説ロックバンドと言われている某バンドのどこが小説なのか未だにわからない。個人的にもっと他にそういわれるようなバンドあるやん。とか思ってもその某バンドが小説ロックバンドらしい。何故だ。そもそも小説の定義とは。ストーリー性のある歌詞もストーリー性のあるバンド遍歴も、割とどのバンドも持ち合わせていると思うし、小説なんていう形のないものを名乗る心境ってどういうものなのか気になる。小説に形はない。と、思っているし誰かに否定されてもそうですかとしかいいません。小説が好きだからです。今度本屋さんにいったら買う本は梶井基次郎氏の檸檬と渡辺優氏の自由なサメと人間たちの夢と決めてます。なんの話だ。


コンセントの様な人間になりたい。むしろコンセントになりたい。前から思ってる。自動ドアでもいい。動く歩道あるじゃないですか。あれはやだ。信号機が青になったから渡るなんて頭が悪いこと誰が考えたんだろう。夜になったら電気をつけるなんて頭が悪いこと誰が考えたんだろう。だから人間は馬鹿なんだ。でもコンセントも自動ドアも人間が考えたもので、それでも人間ではいたくない。し、好きな人が人間である事実も認めたくない。偶像崇拝人間性の排除って似てるよね。盲目は似てるかな。ちょっと違うな。あと天国と太陽って似てるよね。なんか書くことないからって今考えてること全部文字にしてるから日本語なのに日本人に通じる気がしない。人間に通じて欲しくない。サヨナラ人間来世はありませんように。