バニラチルノ

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もとにもどす






だいすきなひとの新しい曲があがったのできいてください。きいてほしい。とてもだいすきだから。わたしはあまり人とすきなものを共有したくないなあと思うことがおおいけど、すきだと誰かにいったことで反応されることがこわい。すきだよといってくれるのもすきじゃないなといわれることも。わたしの、わたしがだいすきなものについての思いはなにも変わらないのになにかしらの反応をされるのがこわい。でもちょっとだけきいてみてほしいなあ。なんとなく、共感を覚えたりこのことばがすき、というのがあったりこのシーンはこうだろうな、とかこういう思いでつくったのかな、とか、わたしがなにかを感じた部分ははなしたくなるので、そういうのに似てるのかもしれない。すきじゃないといわれるのがこわいわけじゃないよ。でもちょっとこわい。でもすごくだいすき。
またはなすね。









最近インターネット上で見た誰かのことば、自分はなにかしらの行動をすることが好きというわけではなくてもとにもどすことが好きなのかもしれない、というもの。とても共感した。ほんとに共感なのかはわからないけど。例えば、いっぱい詰まったジュースの棚で何個か売れたら、売れたとこにあながあいて、そのあなを埋めるために売れたものを同じ数だけ補充すると思うんだけど、それは補充してるんじゃなくてもとのいっぱい詰まったジュースの棚、というものに戻してるのでは?みたいな話だと思う。めちゃくちゃわかる。潔癖でも掃除好きでもないのにテレビのリモコンとか使ったボールペンとかをもとにもどすのとか。片付けるというんだけど。いつもは仲が良くて毎日おはなしする誰か喧嘩した友達と、また同じように仲が良くて毎日おはなしできるようにもとにもどすのとか。仲直りするというんだけど。わかるなーっておもっちゃった。っていうだけの話なんだけど。もとにもどすということがいいとかわるいとかではないけどなんかちょっとだけ寂しい気持ちになるのはなんでかな。もとにもどせるならもどしたほうがよくない?もとにもどさずに新しいかたちにつくりかえたほうがよくない?なにも考えずにもとにもどしていいのかな?どう?どうかな?わたしはもどしちゃうかも。割と。人間関係だけは別だよ、とはいいきれないかもしれないね。わかんないね。もとにもどす、ということばにあてはめてしまうと感じるこの物悲しさ、なんだろね。すごく共感したんだけどね。もとにもどすの反対がさきにすすむ、とは限らないかもしれないし同義語が過去に戻る、とは限らないかもしれないし。いつかマーケティングの勉強をかじったときに、果たしていっぱいに詰まった棚というのは売行がいいのかわるいのか、みたいなはなし聞いたな、というのを思い出した。



いままでしたお給料をもらうお仕事、別に人間がすきなわけでも人間とはなすのがすきなわけでもないのに結局ぜんぶ接客業を選んじゃってるの、履歴書には人に喜んでもらうのがすき、みたいなよくかんがえると意味がわからない理由をかくことがおおいけど今日レジはいってるときにわたしは人に喜んでもらうのがすきなわけではなくてわたしがすることでえらいねえすごいねえって褒めてほしかったんだな、ってわかった。みんながみんな褒めてくれないしなにやっても嫌い!って思ってる人はいると思うけど、なんとなく嫌いじゃないよ、って思われてる人に笑顔振りまいてみたり声かけてみたりしてありがとうっていってもらうことで、すごいね嬉しい、っていってもらうことで、褒めてほしいんだな。ずっと褒めてほしかったんだな、わたし。お給料もらって働いてるのに褒めてくれるのうれしいね。なにも知らないからなに教えてもらってもちょっと覚えて実践できるだけで褒めてくれる研修期間、お金の面以外のはなしだとなかなかうれしいかもしれない。褒められたいよね。いつも褒められたいよね。ずっと褒められたいよね。みんなしあわせになりたいよね。


春はすきだけど花粉はつらいのです。


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二人きりで話をしたいのに、


Correa / 初音ミク

http://www.nicovideo.jp/watch/sm32693219?cp_webto=share_iosapp



動画の貼り方がわからないのでリンク飛べなかったらどうしよう。だいすきなひとのあたらしい曲がだいすきだったので聞いてほしい。YouTubeにもあがっているけど私が生きてきた中でYouTubeよりニコニコ動画が好きなのでそっちを貼ってます。ニコニコ動画はアカウントがないと見れないかもしれないのでもってないひとはYouTubeでみてください。リンク貼らないけど検索する手間が無になるくらい最高なので。






じぶんの脳のキャパなんてたかがしれてるのに毎日毎日いろんな考えを作っては捨て、作っては捨てしているけれど考えることをやめれなくてまわりには考えることが好きだと公言してるけど、別にたぶんそういうことじゃない。そんなに悩むなら考えるのやめればいいのにって何回もいわれたけど別にたぶんそういうことじゃない。考えることはすきだけど、たぶん考えることがすきとか、そういうのじゃない。わからないけど。

死にたいとかもう少し生きたいとか、あいしてるとかだいすきとか、生きるのやめたいとか全ての生物から私の記憶を消してほしいとか、そういうことをほぼ毎日考えてる。ポジティブかネガティヴかでいうとたぶん後者で、それ故に考えるのやめれば、っていわれるんだろうけど、そういうことじゃない。そういうことじゃないんです。死にたいなあって漠然と思うときと理由があってこういう理由で死にたいんですって思うときとあるけど理由はいつもあんまりない。安定剤を何年も飲んでも意味はあんまりない。くすりを変えるたびに先生に効果あった?と聞かれてあったと自信を持って言えることがない。効果があるという意味がわかったことがない。副作用がどれくらい強かったか、でしか安定剤を判断できない。なぜなら私は精神疾患患者かもしれないけど性格になんらかの難がある健常者なので。健常者です。ふつうのひとです。ふつうのひとなんですよ。何を考えててもふつうのひとです。だってみんなふつうのひとでしょ?死にたい、と思ってるとき、死にたい、に近いと思ってる感情を抱いているとき、大体根底にあるのが


・私の命を大事なものだと思われたくない

・すきなひとが死のうと思ったときに当たり前に私も死ぬものだと思われたい


かなあ、ときょうお風呂に入りながらふと思った。私の考えなんて日によって変わるし毎日矛盾してるのできょうの考え、なんですけど、たぶんこれだと思う。なんとなく今までたくさん考えてるなかでいちばんしっくりきた。なぜかしっくりきた。あしたには変わるかもしれないけど。ひとの命に意味も価値もない。それが当たり前に私にもあてはまってるんだろうなあと思うよ。それと同じようにすきなひとの命がこの世から存在しなくなる瞬間に私の命もいっしょにそっちにつれてってほしい。おなじばしょにいけるかわからないけど。おなじばしょにいたいけど。すきだとか、あいしてるとか、だいきらいとか、なにも思われなくていいので当たり前にいっしょに死ぬという選択を提案されて、それからその提案を承諾したい。よろこんで承諾したい。わがままかな。わがままだね。その程度でいいんだなあ。だって私の命にも同じように意味も価値もないので。わがままなのはわかってるけど。私のことを大事に思ってくれるひとがいるかわからないけど、私は私のことを大事に思ってくれるひとより私がすきなひとといっしょにいたいだけです。

愛とはなんだろう。ひとの感情に定義はないから説明するというのはむずかしいね。それでも愛しているよ。


二人きりで話をしたいのに、


できたらいいのに、


なあ、









生きてる間にはむずかしそうだなあ。よくばりだから。


ごめんね。



鐘のなる



いつだってさよならは突然で、突然に音などない。あるのは記憶のみ。記憶がなくなってしまえば、あったという事実さえ消えてしまう。記憶をなくして事実を消すことは美しいのかどうか。そんなのいつだってわからないし事実が過去になったところで美談にもなんにもならない。記憶に形も音もないように、事実なんてものが存在してるかどうかさえわからない。なんとも潔いね。宇宙の端より地球のまんなかより定義しにくい人間の心が美しくて醜い。なんにもない。なんにもない。


なにもがんばってないのにご褒美に買ったハーゲンダッツもかたくてあけられないしあいたと思ったら好みの味ではなくてふたくち食べて冷凍庫にしまった。期間限定のコンビニのお菓子の棚。先入先出するよりさきに、いらない感情を先に捨てるべき。在庫確認。検品して削除。



別れた後もまちのどこかで会うかもしれないねといった恋人だった人とは一回も会ってない。煙草の箱の中身が減るのが早すぎてすぐいっぱいになった灰皿を取り替えるために店員さんを呼ぶのでさえ恥ずかしがってたあの人のことを私はなにも知らない。コスパしか考えずに買ったまずいお酒で悪酔いして吐いたあとに隣にいたあの人のやさしさも別に覚えてないよ。思い出そうとしてもほとんど思い出せないし本物の恋とかそういうのよくわからないけど本物かどうかも好きだったのかどうかも必要だったのかどうかも寂しかっただけなのかどうかも相手の気持ちもなにもわからない。記憶に残ってないので全部存在しないことになるね。私の時間はどこにいってしまったんだろう。元々なかったのかもしれないけど、それでいいのかな。せめて私がいなくなったら私のことは最初からなかったことにしてほしいし、それなのに今の私のことずっとずっと覚えていてほしい。インターネットの私なんて虚構なのだけど。大体は僕です。は虚構だし私だって虚構。うそとほんとの判別もつかない。バンドの誰かが脱退するとき、家族みたいな存在とか言ってる人の気持ち、まったくもってわからないしこの言葉のどこがきれいなのかわからないのに常套句になってるの、ほんとうに意味がわからない。〜〜が脱退しても、バンドも、家族みたいな存在だった〜〜も、応援してほしい。飾った言葉が本音であっても嘘であってもどっちでも別にいいけど、きっと誰もわかんないよ。







今日も深夜二時。なんとなく太腿にカッターの刃をあてると、赤い線ができた。そこから滲んだ赤いもの、誰の役にも立たない今日も明日も燃えるゴミ。







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おさなさ



話したら楽になるよ、ことばにすると楽になるよ、とはよく言ったものだけど、経験からして私は多分これにあてはまらない。と、思う。

ひとが何かをことばにしたいと思うのは、当たり前だけどなにか言いたいことがある、思ったことがある、それが物事への肯定でも否定でも同意でもなんでも、なにか思うところがあるからことばにしたいと思うのだと思うのだけど、まず私にとってこのことばというのが万能じゃない。語彙力がないとか、そういう問題も原因としてあるのだけど、自分がなにを考えているのかいまいちわからない。思ってることをことばにして改めて見返すと別に私、こんなこと思ってたわけではないのかも、ということが多々ある。語彙力の問題でもあるけど、じゃあ結局なにが言いたかったのか、と考えたときにほんとうになにもわからなくなる。羅列されたことばが正しいのか正しくないのか、もしくは正しくはあるけど合ってはいないのか、私にはなにもわからない。わからないけど、何かしら小さな違和感が残る。なんか違う気がする。確かにこんな感じのことは思っているけど、言いたいこととしてこれは私の意見とは違うかも。ひとというのは完璧ではないので矛盾が生じることもあって、矛盾が生じることについて個人的に嫌悪の気持ちはないけれど、さらにいえば矛盾があってこそだと思うけれど、それともまた違う。矛盾してるかどうか、意見が一貫しているかどうか、そういうはなしではなくて、なんだか言いたいことと違う。漠然とそう思う。けれど、かいてしまったことばは呪いのようなものでもしかしたらそう思っていたのかもしれない。違和感はあるけど、ほんとうは私はこう思っているのでは?そんな小さな気持ちが出てくることがあって、そこからそのかかれたことばに飲み込まれるように意識がそっち側へ傾倒してしまう。こともよくある。傾倒しないこともある。なんだか違うな、と思ってもそのうちそう思うこともあるし、ずっとなにかしらの違和感を感じていることもある。だから違うなと思ったらことばを消す。呪われないように。吐き出してしまったことばが自分の意見であればまだ問題はないのだけど、感情だったときがやばい。もう、やばい。自分がなに考えてるのかわからなくなって、自分という人間のことがわからなくなって、自分という人間のことすらわからない自分に嫌気がさす。ことばにするだけでも感情に影響があるというのに、それをひとに話したりしたらもうだめだとおもう。そもそも自分でもわかってないことを思ってもないことばで自分ではない他人に自分の意見として伝えるなんて無謀な行動がよくできるなと思う。なんの解決にもならない。たくさん言いたいこと思ったことがあるときに限って、自分の感情がわからなくなるから、あまり多くは喋らないほうがいいのかなと思っている。といったところでなにも言わないことで相手に違った解釈をされるのも好きじゃない。面倒くさい人間だなあ。今もわりとたくさんかいてしまったけど思ってることとは違うかもしれないし、思ってることがかけてたところで正確に伝わってるかもわからない。人間なのだからそんなものなのだろうけどなんとなく納得がいかないところもある。私のことばはあんまり信用しないでね。そのまま鵜呑みにしないでね。そして、私なんかのことはあまり考えたりしないでね。自意識過剰でのことばではなくて、自嘲のほうでのことばです。色々いったところで、案外なにも考えてないかもね。わかんないね。難しいね。自分との対話も他人とのコミュニケーションも難しいね。やになっちゃうね。





たぶん、私はずっと希望という名の病気に罹ってるんだなあって改めて思う。言う必要のないことばしかもってないけれど、愛しているよ。それだけです。


私が好きだと思うことで好きな人に嫌悪を抱かせることについてはほんとうに天才だとおもうなあ。

大丈夫だよ、大丈夫だよ、なにも心配いらないよ。



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冬休み



2018年が始まったらしい。といったところで何の区切りなのかはよくわかってない。今日世界が終わるかもしれない。始まりが終わりになるかもしれない。それもいいけどね。



知り合いが恋人と別れた、というのはなんとなく気づいていた。気づいていたところで、深い仲でもなんでもない、友達でもないただの知り合いなので何も言いはしないけれど。その人が言っていた。あんなに絶対とかずっととか言ってたくせに、全部嘘だったのか。これから先っていうのは今のことじゃないのか。誰のこともかばうわけではないけどその当時に言った絶対もずっとも本物だったと思う。本当にこれから先のことを考えていたと思う。変わったんだと思う、途中で。きっかけが突然なのか積もったものなのかはわからないけれど、ずっとがなくなったんだ。その人の中で。ずっとって言ってたのにそれが嘘だと気付いちゃったんだ。だからお別れしたんだ。人は変わるものだから、これから先のことが見えないのにずっと一緒にいようねって思えなくなったのに一緒にいるほうが不自然じゃないか。ずっとは嘘になったけど、だからこそ以前のずっともお別れした今も本物になったと思う。詳しくは知らないので、浮気でもしたのかもしれないけれど。気持ちが変わらないのが絶対じゃない。人も気持ちも変わる。これが絶対なんだよ。少しだけ寂しいけれど、もしかしたらこの先の幸せにつながっているかもしれないし、つながってないかもしれない。運命は不可抗力でも、その不可抗力が運命なんだとしたら。




全部抱きしめてあげたいと思ったのは、嘘でも冗談でもないよ。今の私の、本当の本当です。画面の向こうの人間が人間であることを認めるのはすこしだけむずかしいよね。


今年もしあわせになれなさそうな自分がかわいそうでかわいい。抱きしめてあげたい。



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