バニラチルノ

名前を登録してください。

リバーズエッジをみている時やみた後に思ったこととか考えたこととか



原作、存在は知っていたけど読んだこともあらすじも知らなかったしそもそもタイトルのリバーズはreverseもしくはrebirthかと思ってたらちがった。だってリバースエッジだとおもってた。ちがった。


これネタバレを含むよとか書いた方がいいのかな。公開期間終わってるしいいか。いいのかな。いいの?



言葉にするとか文字を打つと本人でも思ってることと違うなあっておもうのなんでだろうね?他人だと尚更だよね。

最後まで誰にも感情移入できずに終わった。テーマもわからなかった。ただ物語のようで物語でないようなフィクションのお話がそこにあった。このお話はフィクションだろうけど、たぶん、似たようなことが現実でも起きてるんだろうなあと思った。というか、何が起きて何が起きてないかはわからないけど、きっと、この現実のどこかにリバーズエッジの登場人物たちは生きてる。べつの名前で。そんなかんじだった。個人的には、圧倒的に田島さんがマジョリティだと思う。そうだよね。多いよね。タイプが違うから感情移入できないけどこういう人間、いると思う。逆に山田とか吉川さんとかハルナはマイノリティに属されるのかなあと思う。この現実、現実の世界において。世界の何を知っているのかとか聞かないでほしい。でもやっぱり田島さんがマジョリティで山田、吉川さん、ハルナがマイノリティだと思う。ハルナの彼氏もマジョリティかな。ここでわたしが言うマジョリティっていうのはあーこういう人いるいる、率の高い人って意味。べつに悪意も善意もないしだからなんだと言われてもそう思っただけですってかんじだけど。人の心の中なんて読めるわけがないしその人の実際の人間性のどれだけを理解できるかなんてわからないけど、それでもそう思う。で、どの人間も悪くない。ただベクトルの数と大きさが違うという話。なんのはなし。


見る前に口コミサイトの一番最初のネタバレ記事をひとつよんだ。綺麗事ばかりだね〜とかそんなかんじだったきがする。ほんとに???ほんとに綺麗事だと思ったの???まあ誰が何を感じようと自由なのだけど、個人的な意見としては全く違ってびっくりした。綺麗事っていうか表面、上っ面、みたいなかんじ。マジョリティっていまわたしが言ってる人。普段はなかなかうまく生活してる人。奥のことは知りません。その上っ面が稀にほとんどない人がいたり、意識的にそうしたりしてる人たちがいて、マイノリティっていまわたしが言ってる人。大多数とちがうと叩かれる。いやな雰囲気だね。いいも悪いもないよ。ただ、マジョリティであってもマイノリティであっても、確かに存在するんだよ。数が多かろうと少なかろうと一般的だと言われようと言われなかろうと確かに存在する。どちらも、誰か一人でも存在してる時点で存在してるんだよ。それがどうとかって話じゃなくて、存在してる、という事実がある。べつにそれは悪いことではないしただそこにいる、それだけの話だと思った。

登場人物の誰にも感情移入できなかったけど、ただ最後に山田がいった「生きてる時の田島さんより死んでる時の田島さんのほうがすき。ずっとずっとすきだよ」これね、ほんとうに嫌悪感を抱く人がいるだろうなと思う。と同時に、わたしは、死んでる時にすきと言われるなら、愛してくれるなら、それでもいいよ、じゃあ、死んでもいいよ、いつでも。あなたの言う通りに。と思う。田島さんの相手が山田だったように、わたしにとってのある人がそう言ってくれるなら。生きてるハルナがすきといった山田の気持ちがとてもわかって、田島さんのこともかわいそうだとかは思わなくて、死んですきになってくれるならいつだって死ぬよ、という話。リバーズエッジの登場人物は、確かに存在するよ。この世界に。それも、登場人物の数より多く。確かに存在するし、たぶん今日も何かが起こりながら、何も起こらないまま、生活は続いてる。綺麗事じゃなくて上っ面だと言ったのは、綺麗事も確かに存在して、それもとてもたくさんの。でも綺麗事が全て上っ面なわけでもなくて。上っ面を剥がしたときの、そのべとべとで汚いところとか、奥の奥の暗い暗い部分とか、それ以外とか、ぜんぶ、存在していて、同じように共存してる。事件や事故があったとしても、それも生活の一部であって、それが特別なことでもなくて、ただの日常が日常なわけでもなくて、穏やかであることも、そうでないことも、全て、全てが同じように共存してる。特別なことなんてひとつもなくて、ぜんぶが、おなじ、おなじようなこと。何かあっても、それをいつかは忘れていくし、だからってなかったことにはならないし、日常といわれるものだって、ありふれたものだとしてもひとつひとつがひとつひとつで、ありふれた、なんて言葉は合ってなくて、それでもありふれたものだよ。ぜんぶ存在してて、ぜんぶ共存する。美しいものも美しくないものも恐怖も喜びも悲しみも嫉妬もいろんな感情、出来事、にんげん、ぜんぶ、ぜんぶおなじ世界でおなじように存在してて共存してる。それだけの話なんだよ。なにも特別じゃないし、ありふれたものでもない。そうだと思う。そうだと思うよ。例えフィクションだとしても、フィクションじゃない。そういうものだと思う。綺麗事が綺麗事であることも綺麗事ではないこともある。この世界にはぜんぶある。そうだと思うよ。



長くなってしまった。感想というか、リバーズエッジを見て何か思うことがあって、その上で他の人はどう思ってるのかな、と思ってる人に読んでほしい。読まなくてもいいよ。ただわたしはそう思う、ってだけ。そうだよ。あの映画は特別でもなんでもないけど、きっとそのうちわたしも忘れるのだろうけど、もしツタヤの棚でこのタイトルをみつけて、そのときとても暇でなくても、たぶんわたしはそれを借りるんじゃないかなあ。そう思うよ。

見た人いる?あなたの思ったことも、わたしは聞きたい。決して肯定も否定もしないけど。



















二階堂ふみちゃん、かわいすぎん、、?ていうかおっぱいでか。

映画のレイティングってどうやってつけてるんだろう。これ、高校生も見れるのか。どう思うんだろう。










嫌われてもそれでも愛されたいという話

f:id:vanillaChirn0:20180331223147j:plain


君の記憶から

僕だけが消えて






つまりね、結局わたしは承認欲求がはちゃめちゃにあってそれで勝手に苦しくなってるってことなんだあ。承認されるための才能も能力もない、努力もできない、人間として欠陥ばっかりのくせに、一丁前に愛されたいとかぬかされても困るもんね。三大欲求とかばかにならないくらいに承認欲求しかない。食欲も睡眠欲もあんまりない、性欲とかゼロに等しいんじゃないかな。抱きしめられたいとかはあるかもしれないけど。性欲?まあいいや。愛されたい。とにかく愛されたいよ。自覚してることとしては、大多数の人間から浅く広く愛されたい欲求と、好きな人に愛されたい欲求。まあみんなそうだと思うけど、なにもないわたしには、どうしてもどっちもむずかしいんですね。大体わたしがバイトで接客を選ぶ理由なんてにこにこして優しい人にやさしくされたいってそれだけだからね。人と関わるのがすきとかほんとうに嘘。ぜんぶじぶんのため。優しい人はなんとなくやさしくしてるからいいんだけど、好きな人に愛されるってのがどうにもむずかしい。むずかしくない?むずかしいな。愛されたいっていっても、結局わたしの承認欲求を満たすためだけかもしれないけど、好きな人のことをすきだという気持ちに嘘はほんとにないよ。たぶんね。愛なんてわかんないけど。でもなんとなくへたくそなんですね、伝え方も気持ちの大きさも気持ちと気持ちの距離の縮め方もどれもこれもへたくそなんですね、むずかしいね。わたしは自責の念でできてるので反省は人一倍するけど学習というのがどうにもできない。なんでだろうね。気付いた時には誰もいなくなってるよね。それに悲しくなってなんでなんでってきらわないで離れていかないでってぐいぐい押しちゃってさらに嫌われちゃうんだよね、むずかしいね。なんでだろうね。結局わたしがじぶんのことしか考えられないからかな。でもいっかいすきになったらわたしはぜったい嫌いになれない。相手はわたしのこときらいだろうけどわたしはずっとすきなの。嫌えたらまだ楽かもしれないけど、できないの。ずっとすきなの。どうにもできないの。愛されたいだけなんだよ。それがだめなのかな。うう。ひとりでも生きていけないし、ほんとはそのほうがいいと思うけど、さみしいし、悲しいし、どうにかなっちゃいそうだ。悪いのはじぶんなのにね〜。


さんがつがおわるね。さんがつがおわっちゃうね。さよならできるといいね。4月になったって区切りもなにもないのにね。そんなもの存在しないのにね。やんなるね〜。







この世は因果応報。わたしが一番知ってるよ。






くすりの作用がまったくみえないくせに、量を減らしても(ここでの量を減らすというのは適正量に戻すって意味)副作用でほんとうに毎日に生を感じない。記憶がまずない。お酒のんでないのに12時間くらい記憶がないとか大丈夫なの。大丈夫じゃないよなあ、とどこか他人事だけどまあまあ困ってる。昨日バイト終わった17時すぎくらいからの記憶が一切ない。生きてなかったのかもしれないな。昨日朝からなにもごはんたべてなくて、今日の朝5時くらいにおなかすいて起きたの、はじめてかもしれない。だから食事は嫌いなんです。


この感情がほんものなのかわからないけど、個人的には嬉しいなと思ったこと、わたしと相手しかしらないこと、覚えてるのがわたしだけだったらそれはなかったことになるんだよ。そういう風にわたしが生きてきたからその代償なのかもしれないけど。嬉しいなと思ったのはわたしだし、それに関してはただわたしの感情が動いた、っていうそれだけのことだからそこに嘘とかはない。事実にだって嘘はないけど、事実が事実って名前で呼ばれるかは別で、結局誰も覚えてないことは在ったということすら真実ではないんだよ。形がないものはなおさら。だからこそ記憶の中で生きていないとないことになるんだけど、それはむずかしいもんね。記憶も人間の脳も無限でもなんでもないから。よわいところがでちゃってるね。ただ、嬉しいなと思ったのが嘘でなかったとしても、記憶にないから事実であったことが嘘だったとしても、それがかなしいとかそういうことがいいたいんじゃなくて、ただ自分もそういうことしかできないもんなあってかなしくなってるだけです。かなしくなってもしかたないんだけど。嬉しかったことがかなしかったこととして塗り替えられてるのがかなしい。それもただの感情だけど。卑屈でやだなー。もういややー。ふへへ。生きるのってむずかしいし生きるのがむずかしい理由がいままでの自分の過去の行動から成り立ってるってことがかなしい。かなしすぎてやんなるわ。やんなるわー。はやく天国でも地獄でもなんでもいいからここからつれさってほしい。感情的な文章ってわたしはきらいじゃないけど、マイナスの方にうごいてる感情的な文章ってめちゃくちゃ引力あるからすごいね。この文章は7分後に消えるけどね。生きてるってすごいね。



でもバイトはちゃんと行ってるんだー。生きた心地がしないね。さんがつおわるまであと4日しかないんだ。

春はきらいだ。






自殺って逃げだよな、わかる 死は逃げであって救いなので。かわらないので。昨日たくさんお酒を飲んだ。久しぶりにお酒飲んでとても楽しかった。全く記憶ない。うたがうまいひとの前でへったくそなうたを歌った気がする。つらい。とても楽しかったけどお酒も逃げではないのかな。やめたほうがいいんだろうな。さんがつを全うしたら自殺したい。自殺なのに計画性がある。うける。できればさんがつはちゃんとしたいです。できれば。ほかのひとのちゃんとには到底追いつかないだろうけど。死ぬときにひとに迷惑をかけたくない。衝動的な自殺願望いままでなんどもなんどもあったけど、いままでのそれよりほんとうに切実です。ほんとうにほんとうに死ななきゃだめだ。わたしは。死んだひとの記憶を生きてるひとの脳内から消す技術なる早で開発してほしい。できれば今月中に。ちっぽけなしあわせも不幸もたくさんあったような気がするけど乖離ひどくて何も思い出せないね。お気楽な脳ですね。



退廃新書




この感情は言葉に残さなくては、と思ってたことを今更書く。2日前の話だからほとんど覚えてないけど。


一週間くらいでやめた元バイト先の年下の先輩が久しぶりに地元に戻ってきてライブをやるというので見に行った。偶然1月に東京でライブを見たので2ヶ月ぶり?東京すごく遠いのに頻度的にはそれなりに見てる気がする。個人的には全然少ないんだけど。色々あったし色々あったかというとなにもなかったんだけどまだライブ行ったら声かけてくれるからよかったなあと思う。東京の民になってしまった先輩としては珍しいことではないことなんて当たり前にわかっているけど終電を逃すの、っていう歌詞のところでどうしてもわたしとのあの日の話だと思ってしまうの、自意識過剰にも程がある。

人それぞれなので比較することはできないんだけど辛い過去(こういう表現いちばん嫌いなのはわたしだけど敢えて)みたいなものを背負ってたり昇華したりしてきた人というのは、なんとなくわかる。なんとなくわかるし、わたしはどうしてもそういう人やものを好きになってしまうんだけど、たぶんこれはわたしの中で好きと共感がだいぶ近いところにあるからだと思う。いま現在毎日毎日辛い辛い死にたいと簡単に口に出すけど、なんとなく似たようなものを感じてしまうとそれを救いだと思ってしまうところがあって、理解とか許容とかいうださいものを求めてしまう。実際それらは傷なんか癒してくれないどころか、ってかんじだけど。で、たぶん、たぶんだけど先輩もそういうのがあったんだろうなと思って簡単に心を開いてしまうというか救ってくれと思ってしまったんだな、ばかなわたしは。あまり前向きな歌詞ではないと思う。言葉通り捉えることが正しいのかわからないけど。とても好き嫌いわかれるんだろうなと思うし先輩の音楽を好きで聴いてる人ってたぶんなんとなく似たようなところがあると思ってる。勝手に。歌詞がとても好き。わたしにとっての癒しでは全くないんだけど、たぶんこの歌詞を書いた先輩は他人のことがとっても嫌いで、だからこそ他人にやさしいんだろうなと思ってしまう。わたしが絆創膏みたいだと思ってる音楽って、ほんとうに絆創膏が必要なときに剃刀になってしまいそうなものがおおいんだけど、なんでそれなのに好きなのかはたぶん永遠にわからないけど、先輩の音楽はどっちかというと逆かなあ。伝え方が難しい。とにかく好きとしかいえない。難しいね。そんな先輩のMCとか、普通に喋ってるときとか、あまり、俗に言うメンヘラみたいな空気がほとんどない。全くない。いやメンヘラじゃないんだろうけど、今だって辛い、みたいな歌詞をたくさん書くくせに喋ると全然そんな話をしないんだ。それが普通なのかもしれないけど。そこがとても安心するしひやひやします。他人の痛みなどわかるわけもないんだけど、他人の強さはなんとなくわかる。先輩はわたしよりずっとずっと強いと思う。元からなのかとかは全然わからないけど、表面上のあれなのかもしれないけど、ずっとずっと強いと思う。そんなところが羨ましくて、こわい。わたしは弱いので。わたしがいうことではないけど、しあわせになってほしい。絶対にしあわせになってほしい。これからをとても期待してる。いつのライブを見ても感じる感情みたいなものはわたしにしては珍しくあまり変化がないのだけど、悪い意味じゃなくて、そこがほんとうにほんとうにすきです。たくさんの人に愛してもらってほしいととても強く願うよ。それから、絶対に絶対にCDじゃなくてライブのほうがいい。月に10本以上ライブやってるらしいので東京近くの人はほんとうに見てほしい。CDがだめというわけではないよ。YouTubeに音源とかライブ動画とかあるしリンクを貼ることはできるけど絶対に絶対に一番最初はライブを見てほしい。だから名前も伏せてるんだけど、この文章をかいたところで先輩の収益にはならないんだけど、紹介したほうがまだ微弱でも知名度をあげることができることはわかってるんだけど、でもなにも言いません。なにも伝わってないだろうから無意味なんだろうけど、ほんとうにほんとうにライブがとてもいいので、全部伏せるけど、この記事のタイトルが先輩の曲のひとつなので、もし、ほんとうに気になった人がいれば調べてみてほしい。うまく繋がるかわからないけど。このブログ見てる人いるかわからないけど。9日のライブほんとうに最高だったよ。たぶんこれからもずっと好きだ。


ぐだぐだになったけどこんなかんじです。最近乖離がほんとうにひどくてやになるね。ブログは備忘録じゃないよ。まあいいか。




広告を非表示にする