バニラチルノ

名前を登録してください。

恋は雨上がりのように


最近、色々あった。話すと長くなるけど色々あった。自殺を考えたことなんて何回もあるし何回もあるのに結局まだ生きてるし、自殺を考えたくてしかたがないのに自殺したところでどうにもならないこともわかっているのに。自死だった場合、まわりの人はどう思うんだろう。可哀想って思うのかな。もっと他に選択肢あったのにって思うのかな。それとも気づいてすらくれないのかな。ずっと決めてることがあって、老衰以外での死を選んだりそうせざるを得ないことになってしまった場合、私は自らの死を大切な人にだけはぜったいに言いたくない。大切だった人にもぜったいに言いたくない。意地かなあって思うけど、たぶんそうかもしれないけど、大切だから、大切だったからこそ私とは違うところにいてほしいんだよ。意地なんだろうね。わかってるよ。


恋は雨上がりのように、という映画を見た。原作は半分くらいしか読んでなかったから結末知らなかったけど、ていうか原作最近完結したんだね。知らなかった。基本的に原作が漫画媒体である時、映画を見る前に原作を読んでいたい派だったけど、時間あるし、タイミングいいし、というなんとも気まぐれな理由で映画を見た。時間が悪かったのか、田舎だからなのか、まだ公開してすぐだから大きいスクリーンだったのに私ともう一人しかいなかった。流石にびっくりしてポップコーン落とすかと思った。まあ特にだからといってなんにもないんだけど。

ほんとは見るつもりなくて、ふとツイッターで回ってきた感想を読んで、少しだけ見たくなって、タイミングよくそのまま見ることになった。年上の男性と女子高生の恋愛の話って最近よくあるけど、いやずっと前からあるけど、その中でもこの作品はその問いに対して一番誠実な答え合わせのようなものだと思う、って感想に書いてた。仮に好き同士だったとしても、なぜ手を出しちゃいけないのか、っていうことに否定も反論もせずに答えを投げかけている、って書いてた。ちょっと気になっちゃったんだよね。エンドロールが終わって館内が明るくなって、ああなるほどなあ、って思った。なるほどなあって思った部分もあるし、いやちょっと違うのでは?と思った部分もあった。そもそものテーマが何かわからないけれど、恋愛を物語メインの置いているけど、主人公の店長に対する気持ちは別に恋ではなかったんじゃないかなあと思った。タイトルについて、なるほどなあって思うし、若干違う気もする。私の解釈の上で言うと、恋ではなく愛だったんじゃないかなあと思う。タイトルを愛に変えると語呂悪いけどね。

店長は、ほんとは何もしてないんだよ、主人公に対して。優しさはあったかもしれないけど、人生に関わるほどの優しさはなかったと思うんだよ。まあ初対面だしね。特別いいところがあったわけでもないし、まあ所謂冴えないおじさんだったけど、それでも心が死んじゃうぎりぎりのところにいた、限界が近かった主人公にその優しさが響いちゃったんだよね。偶然。ほんとうに偶然。命の恩人ではないけど、でもたしかにひとつの命を救ったんだよ。命の基になる心を救ったんだよ。運命なんていえばなんとなくかっこいいけど、ただただ偶然だった。でも限りなく奇跡に近い偶然だった。ぎりぎりだった心を救ってもらったという感覚が主人公にあったかどうかわかんないけど、自覚してたかわかんないけど、でもたしかに心があったかさを取り戻したことはわかったと思う。好きになんないわけがないんだよ。それが恋愛感情じゃなかったとしても、好きになっちゃうよ。だってあったかくしてくれたんだもん。主人公はそれを恋愛感情だと思ったけど、ほんとうに恋愛感情だったのかなあと思う。この辺どうでもいいかもしれないし自己解釈しかないのでほんとうに恋愛感情があった程で作者は書いてるかもしれないし、作品しか見てないのでなんとも言えないんだけど。でも私は、それは恋愛感情ではなかったと思うんだよね。ただ、限りなく恋愛感情に近い、恋愛感情じゃない愛だったと思う。ことばにしてしまうと好き、になってしまうからわかんなくなる。私だってわかんないなにも。でも好き、って思っちゃうよ、当たり前じゃん、なんでもない人の何気ない言葉とか行動が、あったかい涙が出るほど嬉しかったんだよ。それは好き、って感情だよ。そこはぜったいに間違いないと思う。年の差がすごいあっても、自分が未成年でも、相手が誰だったとしても、そこがもし店長じゃなかったとしても、なんでも、それでも好き、って感情がわいたと思う。だから恋愛感情だと思った。わかる。わかるんだけど、恋愛感情かと言われれば違うと思う。どちらかといえば、心の支え、とか、生きる糧、とか、そちらのほうが近いと思う。それで、そういうのは愛だと思う。私は。その愛が恋愛感情になることも勿論あるんだろうけど、主人公はそうではなかったのかな、って。愛といっても、恋愛感情じゃないほうの愛。何言ってんだってかんじだしぶっちゃけ私もなんて説明すればいいかわかんない。でも例えば、死にたくてどうしようもない夜にはじめて聞いた音楽とか、見つけられない価値とか意味を教えてくれた見知らぬ人の言葉とか、別にその人に対しての気持ちじゃなかったとしても、なんの関係もなかったとしても、そういうものがタイミングとか偶然とかで奇跡みたいに救ったりするんだよ。人だったり心だったり。そういうものに対する愛、っていうか、そういうものだと思う。主人公の場合その対象が人間だったから、店長だったから、偶然、恋愛感情に結びついたんじゃないかなあって。思うんだよ。もしかしたらほんとうに恋愛感情かもしれないけど、でもそういう意味での恋愛感情ではないのかな、って思った。私は。物語の最後までね。

店長の仕事先であるファミレスでバイトをはじめて、店長と接して、まわりにたくさん色々いわれて、それでもその気持ちにぶれはなかったと思う。でも最後まで愛だったと、そう思うよ。

最終的に主人公と店長が結ばれることはなくて、上に書いたように映画を見る前に見た感想云々のことは、たぶんツイッターで検索すればわかるので割愛するけど、おじさんと女子高生の恋愛がどうだとか、まあそういうのもほんとうになるほどなあって思ったし、私自身わかるなあって思ったけど、でもテーマとかそういうのでなく、この作品の中にたくさんあった感情は、恋ではなく愛だったと思うんだよ。生活においてたくさんの人と関わって、感化されたりしたりして、気づいてすらないかもしれない愛がたくさんあって、そんなきれいなものじゃないっていう人がいるかもしれないけど別にきれいとかそういうことを言いたい訳じゃなくて、ただまっすぐな愛だったと思うんだよ。偶然ね。主人公の店長への気持ちも、店長の、旧友である同級生への気持ちも、主人公と幼馴染である子の間にあった気持ちも、偶然だったとしてもなんだったとしても、その関係性があって日常の上で関わってそれで生まれたものは愛だと思う。優しさとか、そういうものがあったかどうかは別だよ。覚悟とかも特にないかもしれない。死ぬまで一緒にいるかどうかもわかんない。全部いまはわかんないだろうし、お互いにそんなこと思ってないかもしれないし、考えてみれば、って人生が終わるときに思うかどうかもわかんない、けど、なにもしてなくても、なにかをしようとしてなくても、そこに愛はあるよきっと。それで、その愛は関係性とかひとりの人間としてとか、そういうものの前に誰かに、何かに、感化されたりしたりして、そこから生まれると思う。そういうのがあったとして、それを煩わしいと思ったりするかもしれないけど、それでも確かに存在するんだよ。見えなくても。偶然、いつかは見えるようになるかもしれないし。そういうことを含めてのタイトルだったのかな、とか、そういう、長くなったけど、言葉にしたら思ってることとは違うかもしれないけど、まあそんなかんじ、ですね。はい。


長いね。長いかな。わかんないけど。好きな作品に面白かった!って言えないタイプの人間だからじゃあどうなの、結局感想としては、ってよく言われるけど、この映画の中の図書館のシーンで大泉洋が言ってた、本は人に一方的に勧められてももしそれがつまんなかったらその人にとって読書が苦痛になるかもしれないけど、けどきっとどこかに自分を呼んでる、探してる本があって、それを見つけることができたら、その本を見つけたタイミングが、その人にとってその本が必要になるタイミングだよ、みたいなことを言ってて、私が出会う作品全て、そうであったらいいなって思うよ。今回の映画も然り。本だけに限った話じゃないけど、音楽とか映画とか、他にも知らない人の言葉とか何気ない一言とかその日の天気とか、時間とか、その日偶々駅で見た広告とか、なんでも、そうなる可能性はゼロじゃないし、もし自覚できてなかったとしても、そういうものがあればいいなと思うよ。思います。貴方にもあったらいいね。

っていうお話でした。



最近、色々あった。ほんとに色々あった。死にたいって強く強く思ったのに、それなのに、ださいけど、まだ生きてる。それも私には必要だったかもしれない。必要だったと思えたらいいな、死ぬまでには。







東京のはしっこで生きている

ゴールデンウイークとかいう、私には微塵も関係ないもののせいで渋滞とか人ごみとか跳ね上がる値段とかに悩まなきゃいけないの、どうにかしたいよね。まあ微塵も関係ないものに振り回されてる時点で関係があるのかもしれないけど。関係があるならあるで、関係あるよ、って言ってくれよ。ちゃんと私に言ってくれよ。それでもぜったいに認めてなんかやんないけどさ。

それで、その私に微塵も関係ないゴールデンウイークというなにも輝いてない時間を使って東京に行きます。はじめて顔を見て話をするひとに会いました。どこにあるのかわからない電波なんてものにのせて声を聞くことなんてたくさんあるのにね。毎日毎日飽きるくらい繰り返してるのにね。全然うまく喋れなかった。たくさん言いたいことあるはずなのに。笑いたいのに。お礼も沢山したかったのに。なんんんんにも喋れなかったよ。自己紹介すらうまくできなかったよ。私は何者なんだろうね。コミュ障なんて自覚してるけどほんとに病気かと思ったよ。ごめんね。何も言えなくてごめんね。そこにいてくれることが死ぬほど嬉しかったんだよ。生きてそこで立ってることが、しゃべってることが、息をしていることが死ぬほど、ここでぜんぶ寿命あげてもいいくらい嬉しかったんだよ。生きてくれてありがとう。今まで生きててくれてありがとう。たくさん救われたものを目の前に出されてもお礼なんて言えないね。私だからかな。私だからだろうなあ。でもありがとう、しかおもわなかったよ。泣いてないけど、嬉しくて出る涙の温度はこんくらいだろうなあって思ったよ。わかっちゃったよ。お金なんかではかれるものじゃないけど、ね。でも私はお金を払うことしかできないので。じゃあね、またね。っていったよ。またねって言ったからね。言葉に意味なんてなくても、嘘だとしても、私その言葉信じるからね。嘘でも信じるからね。ばーか、ざまあみろ。


会ったのは東京じゃないけどねえ。東京からみれば東京以外なんて東京以外のどこかなんですかねえ。東京のはしっこにいれてくれませんかねえ。東京で生きてなんかいないけど、生きたことなんてないけど、私、東京のはしっこで生きてるよ。そうなればいいね。そうなればいいな。じゃあね、またね。




またね、この空気を一緒に吸おうね。

リバーズエッジをみている時やみた後に思ったこととか考えたこととか



原作、存在は知っていたけど読んだこともあらすじも知らなかったしそもそもタイトルのリバーズはreverseもしくはrebirthかと思ってたらちがった。だってリバースエッジだとおもってた。ちがった。


これネタバレを含むよとか書いた方がいいのかな。公開期間終わってるしいいか。いいのかな。いいの?



言葉にするとか文字を打つと本人でも思ってることと違うなあっておもうのなんでだろうね?他人だと尚更だよね。

最後まで誰にも感情移入できずに終わった。テーマもわからなかった。ただ物語のようで物語でないようなフィクションのお話がそこにあった。このお話はフィクションだろうけど、たぶん、似たようなことが現実でも起きてるんだろうなあと思った。というか、何が起きて何が起きてないかはわからないけど、きっと、この現実のどこかにリバーズエッジの登場人物たちは生きてる。べつの名前で。そんなかんじだった。個人的には、圧倒的に田島さんがマジョリティだと思う。そうだよね。多いよね。タイプが違うから感情移入できないけどこういう人間、いると思う。逆に山田とか吉川さんとかハルナはマイノリティに属されるのかなあと思う。この現実、現実の世界において。世界の何を知っているのかとか聞かないでほしい。でもやっぱり田島さんがマジョリティで山田、吉川さん、ハルナがマイノリティだと思う。ハルナの彼氏もマジョリティかな。ここでわたしが言うマジョリティっていうのはあーこういう人いるいる、率の高い人って意味。べつに悪意も善意もないしだからなんだと言われてもそう思っただけですってかんじだけど。人の心の中なんて読めるわけがないしその人の実際の人間性のどれだけを理解できるかなんてわからないけど、それでもそう思う。で、どの人間も悪くない。ただベクトルの数と大きさが違うという話。なんのはなし。


見る前に口コミサイトの一番最初のネタバレ記事をひとつよんだ。綺麗事ばかりだね〜とかそんなかんじだったきがする。ほんとに???ほんとに綺麗事だと思ったの???まあ誰が何を感じようと自由なのだけど、個人的な意見としては全く違ってびっくりした。綺麗事っていうか表面、上っ面、みたいなかんじ。マジョリティっていまわたしが言ってる人。普段はなかなかうまく生活してる人。奥のことは知りません。その上っ面が稀にほとんどない人がいたり、意識的にそうしたりしてる人たちがいて、マイノリティっていまわたしが言ってる人。大多数とちがうと叩かれる。いやな雰囲気だね。いいも悪いもないよ。ただ、マジョリティであってもマイノリティであっても、確かに存在するんだよ。数が多かろうと少なかろうと一般的だと言われようと言われなかろうと確かに存在する。どちらも、誰か一人でも存在してる時点で存在してるんだよ。それがどうとかって話じゃなくて、存在してる、という事実がある。べつにそれは悪いことではないしただそこにいる、それだけの話だと思った。

登場人物の誰にも感情移入できなかったけど、ただ最後に山田がいった「生きてる時の田島さんより死んでる時の田島さんのほうがすき。ずっとずっとすきだよ」これね、ほんとうに嫌悪感を抱く人がいるだろうなと思う。と同時に、わたしは、死んでる時にすきと言われるなら、愛してくれるなら、それでもいいよ、じゃあ、死んでもいいよ、いつでも。あなたの言う通りに。と思う。田島さんの相手が山田だったように、わたしにとってのある人がそう言ってくれるなら。生きてるハルナがすきといった山田の気持ちがとてもわかって、田島さんのこともかわいそうだとかは思わなくて、死んですきになってくれるならいつだって死ぬよ、という話。リバーズエッジの登場人物は、確かに存在するよ。この世界に。それも、登場人物の数より多く。確かに存在するし、たぶん今日も何かが起こりながら、何も起こらないまま、生活は続いてる。綺麗事じゃなくて上っ面だと言ったのは、綺麗事も確かに存在して、それもとてもたくさんの。でも綺麗事が全て上っ面なわけでもなくて。上っ面を剥がしたときの、そのべとべとで汚いところとか、奥の奥の暗い暗い部分とか、それ以外とか、ぜんぶ、存在していて、同じように共存してる。事件や事故があったとしても、それも生活の一部であって、それが特別なことでもなくて、ただの日常が日常なわけでもなくて、穏やかであることも、そうでないことも、全て、全てが同じように共存してる。特別なことなんてひとつもなくて、ぜんぶが、おなじ、おなじようなこと。何かあっても、それをいつかは忘れていくし、だからってなかったことにはならないし、日常といわれるものだって、ありふれたものだとしてもひとつひとつがひとつひとつで、ありふれた、なんて言葉は合ってなくて、それでもありふれたものだよ。ぜんぶ存在してて、ぜんぶ共存する。美しいものも美しくないものも恐怖も喜びも悲しみも嫉妬もいろんな感情、出来事、にんげん、ぜんぶ、ぜんぶおなじ世界でおなじように存在してて共存してる。それだけの話なんだよ。なにも特別じゃないし、ありふれたものでもない。そうだと思う。そうだと思うよ。例えフィクションだとしても、フィクションじゃない。そういうものだと思う。綺麗事が綺麗事であることも綺麗事ではないこともある。この世界にはぜんぶある。そうだと思うよ。



長くなってしまった。感想というか、リバーズエッジを見て何か思うことがあって、その上で他の人はどう思ってるのかな、と思ってる人に読んでほしい。読まなくてもいいよ。ただわたしはそう思う、ってだけ。そうだよ。あの映画は特別でもなんでもないけど、きっとそのうちわたしも忘れるのだろうけど、もしツタヤの棚でこのタイトルをみつけて、そのときとても暇でなくても、たぶんわたしはそれを借りるんじゃないかなあ。そう思うよ。

見た人いる?あなたの思ったことも、わたしは聞きたい。決して肯定も否定もしないけど。



















二階堂ふみちゃん、かわいすぎん、、?ていうかおっぱいでか。

映画のレイティングってどうやってつけてるんだろう。これ、高校生も見れるのか。どう思うんだろう。










嫌われてもそれでも愛されたいという話

f:id:vanillaChirn0:20180331223147j:plain


君の記憶から

僕だけが消えて






つまりね、結局わたしは承認欲求がはちゃめちゃにあってそれで勝手に苦しくなってるってことなんだあ。承認されるための才能も能力もない、努力もできない、人間として欠陥ばっかりのくせに、一丁前に愛されたいとかぬかされても困るもんね。三大欲求とかばかにならないくらいに承認欲求しかない。食欲も睡眠欲もあんまりない、性欲とかゼロに等しいんじゃないかな。抱きしめられたいとかはあるかもしれないけど。性欲?まあいいや。愛されたい。とにかく愛されたいよ。自覚してることとしては、大多数の人間から浅く広く愛されたい欲求と、好きな人に愛されたい欲求。まあみんなそうだと思うけど、なにもないわたしには、どうしてもどっちもむずかしいんですね。大体わたしがバイトで接客を選ぶ理由なんてにこにこして優しい人にやさしくされたいってそれだけだからね。人と関わるのがすきとかほんとうに嘘。ぜんぶじぶんのため。優しい人はなんとなくやさしくしてるからいいんだけど、好きな人に愛されるってのがどうにもむずかしい。むずかしくない?むずかしいな。愛されたいっていっても、結局わたしの承認欲求を満たすためだけかもしれないけど、好きな人のことをすきだという気持ちに嘘はほんとにないよ。たぶんね。愛なんてわかんないけど。でもなんとなくへたくそなんですね、伝え方も気持ちの大きさも気持ちと気持ちの距離の縮め方もどれもこれもへたくそなんですね、むずかしいね。わたしは自責の念でできてるので反省は人一倍するけど学習というのがどうにもできない。なんでだろうね。気付いた時には誰もいなくなってるよね。それに悲しくなってなんでなんでってきらわないで離れていかないでってぐいぐい押しちゃってさらに嫌われちゃうんだよね、むずかしいね。なんでだろうね。結局わたしがじぶんのことしか考えられないからかな。でもいっかいすきになったらわたしはぜったい嫌いになれない。相手はわたしのこときらいだろうけどわたしはずっとすきなの。嫌えたらまだ楽かもしれないけど、できないの。ずっとすきなの。どうにもできないの。愛されたいだけなんだよ。それがだめなのかな。うう。ひとりでも生きていけないし、ほんとはそのほうがいいと思うけど、さみしいし、悲しいし、どうにかなっちゃいそうだ。悪いのはじぶんなのにね〜。


さんがつがおわるね。さんがつがおわっちゃうね。さよならできるといいね。4月になったって区切りもなにもないのにね。そんなもの存在しないのにね。やんなるね〜。







この世は因果応報。わたしが一番知ってるよ。






くすりの作用がまったくみえないくせに、量を減らしても(ここでの量を減らすというのは適正量に戻すって意味)副作用でほんとうに毎日に生を感じない。記憶がまずない。お酒のんでないのに12時間くらい記憶がないとか大丈夫なの。大丈夫じゃないよなあ、とどこか他人事だけどまあまあ困ってる。昨日バイト終わった17時すぎくらいからの記憶が一切ない。生きてなかったのかもしれないな。昨日朝からなにもごはんたべてなくて、今日の朝5時くらいにおなかすいて起きたの、はじめてかもしれない。だから食事は嫌いなんです。


この感情がほんものなのかわからないけど、個人的には嬉しいなと思ったこと、わたしと相手しかしらないこと、覚えてるのがわたしだけだったらそれはなかったことになるんだよ。そういう風にわたしが生きてきたからその代償なのかもしれないけど。嬉しいなと思ったのはわたしだし、それに関してはただわたしの感情が動いた、っていうそれだけのことだからそこに嘘とかはない。事実にだって嘘はないけど、事実が事実って名前で呼ばれるかは別で、結局誰も覚えてないことは在ったということすら真実ではないんだよ。形がないものはなおさら。だからこそ記憶の中で生きていないとないことになるんだけど、それはむずかしいもんね。記憶も人間の脳も無限でもなんでもないから。よわいところがでちゃってるね。ただ、嬉しいなと思ったのが嘘でなかったとしても、記憶にないから事実であったことが嘘だったとしても、それがかなしいとかそういうことがいいたいんじゃなくて、ただ自分もそういうことしかできないもんなあってかなしくなってるだけです。かなしくなってもしかたないんだけど。嬉しかったことがかなしかったこととして塗り替えられてるのがかなしい。それもただの感情だけど。卑屈でやだなー。もういややー。ふへへ。生きるのってむずかしいし生きるのがむずかしい理由がいままでの自分の過去の行動から成り立ってるってことがかなしい。かなしすぎてやんなるわ。やんなるわー。はやく天国でも地獄でもなんでもいいからここからつれさってほしい。感情的な文章ってわたしはきらいじゃないけど、マイナスの方にうごいてる感情的な文章ってめちゃくちゃ引力あるからすごいね。この文章は7分後に消えるけどね。生きてるってすごいね。



でもバイトはちゃんと行ってるんだー。生きた心地がしないね。さんがつおわるまであと4日しかないんだ。

春はきらいだ。