バニラチルノ

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まおちゃんのこと



最近知ったさいあくななちゃん、という絵描きさんのイラストが、とても好きだ。わたしは彼女のことをなにも知らないし、作品だってほぼ見たことなどないので知った口を利くな、と言われそうだけどふと流れてきたのをみて好きだな、と思ったのは作品がすごく鮮やかでとてもたくさんのピンク色を使っていて、かわいくてきらきらしていたのにこの作品を描いた人はたぶん生き辛いと思いながら生きているんだろうなあと思ったからで。そのさいあくななちゃんが岡本太郎賞を獲った。美術に詳しくないのでなにもわからないけどとても大きい賞らしい。すごいことらしい。すごい。それでさっき、さいあくななちゃんのことをずっと好きだという全然知らない人のさいあくななちゃんの受賞についてのブログを読んだ。とても喜んでた。とてもとても喜んでた。文面の中に喜びしかなかった。それが本音なのかどうかなんて一切わからないんだけど、ほとんどぜんぶが本音なのだろうと思った。もしかしたら喜び以外のものが混じっていたとしても、それも、愛なんだろうなあと思ったから、それも、わたしはすごいことだと思った。感情についてはすごいもすごくないもないのだけど、わたしにはできないかもなあと思った。さいあくななちゃんもさいあくななちゃんを好きな彼女も、他の人も、知らない人も、たくさんの人のたくさんの感情が動いた出来事だっただろうけど、わたしは無意識でまおちゃんのことを思い出した。このブログの前の記事でまたはなすねと書いた気がして、それをいま書こうと思った。できるだけ本音でかきたい。かけることがあるのかといわれたら、わからないのだけど。



mao sasagawaさん、という、音楽をつくってる人がいて、わたしがはじめて名前を知ったときはなぎささんだったんだけど、はじめて知ったそのときにもっと詳しく知ろうとすればよかったな、なんてのは今更な話なのでしないけど、この人のつくる音楽がほんとに好きだなって、思ったのはいつだったのかなあ。たぶん、名前を変えてからかなあ。もうちょっと前だった気もするけど。mercredi名義でアルバムを発売して通販してるときくらいだった気がする。あんまり覚えてないもんだね。ちなみについったかなんかでフジナガのほうがこないだ出した詩集のうらっかわは大好きなアルバムに寄せたって話したきがするけど、これです。このアルバムです。もう販売はたぶんしないだろうけど。みたらわかるかもしれないしわたしの寄せ方がヘタであんまりわからないかもしれない。ちなみに中の人の、まおちゃん本人への気持ちあたりは詩集のうしろのほうがわりと本音だったり、本音じゃなかったりするんだけど、いまは音楽のはなしをしたいので割愛。


まおちゃんの名義になってから、投稿されてる分とか、最近の曲とか。歌詞のはなしをすると、すごく直接的なことを言っているようで、間接的なようで、共感という点において言えばわかるようなわからないような曖昧なものなんだけど。でも、まあたぶんなにもわかってないと思う。わたしは。結局他人に共感するなんて言っても、それって自分の感情を、なんとなく似てる他人の言葉に同調することだと思うので。同じ言葉でも思い出すことは全然違ったりとか、そういうことで、でも、勝手に思ってるのは、直接的なことばを選んでるように見せかけて、たぶん直接的なことはなにも言ってないような、ほんとのことはずっとずっと心の奥にしまって出てこれない、みたいな、そんな気がしてる。そこが好きだし、もしそうだとしてわたしもそういうことをすると思う。人間はみんなそんなかんじだとおもう、特になにかをつくってる人は。ぜんいんとはいわないけど。それから、留まり続ける感情なんて存在しないと思っていて、例えばさみしいとひとくちにいってもいろんなかたちがあって、孤独だからさみしいとか、愛しいからさみしいとか、おんなじようで反対みたいなこともたくさんあって、それで同じさみしいでも、その感情を同じように復唱するときでも若干でもちがうものになっていると思ってる。だから、だからこそ音楽というものにこんなにも愛しい気持ちがあるんだけど、簡単に言うと聞くたびに沸く感情が違うとか、ありがちなことばになっちゃうけど、わたしはまおちゃんの音楽にかなり大きく揺さぶられてる気がするし、その都度沸く感情もベクトルが全然違う。すごく苦しくて、苦しくて、これを愛と呼べれば楽だと、ずっと思ってる。共感というのはおそろしいもんだな。なにに共感してるかすらわかんないけどね。

歌詞のはなしをしたあとはメロディのはなしをしたいけど、わたしは音楽がなんにもわかんない。理論とか、コードとか、聞いてる音楽も限られてるし、ていうかほんとになにも知らないし。まおちゃんの音楽すき!ってなってからつくった音楽ぜんぶ聞いたわけでもないし、バンドも、見れなかったけど、だから思ったことしかいえないけど、最近のは、メロディとしては明るいほうなのかなと思ってる。なにと比較してるんだろう。ぽんぽん跳ねるようなのが多くて、きらきらしてて、ちょっとたのしくて、ちょっとさみしい。ほんとうに感じ方の問題だと思う。どれだけかわいくてきらきらしてても、なんかちょっとさみしいんだよ。歌詞も相まって、苦しい。最近ついったーにあげてたぴんくいろのやつ、あれ、ほんとにほんとにすきだけど、あれも苦しい。ほんのすこし。もうちょい。さいあくななちゃんのほうでも言ったけど、わたしは自分がこれをつくってる人はたぶん生き辛いなと思いながらも生きることしかできないのかなあと感じるような人がすき。もう感性のはなしになってしまう。音楽のはなしがしたいのにわたしの感性のはなししかできない。いまはたくさんの人がツイッターやらブログやらまあいろいろなもので自分とか自分じゃないものについてのはなしができるので、すべてがほんとうではないにしろなんとなくその人がつくりたいイメージとか、持て余す感情とか、わかってしまうけど(そのひとのすべてを理解できるとかほんとのところがわかるとか、そういうことじゃないよ)、そういうの全部抜きでほんとにいまと同じように聞いてるかっていわれたらわかんないけど、でもまおちゃんの音楽はやっぱり苦しい。苦しくて苦しくて、とても好き。好きなものは閉じ込めたいし自分がはなしたことで誰かに感想を持たれるのがこわい。誰彼構わずおすすめもできない。いくらまおちゃんの音楽が好きでもうまくことばにできないしぜんぶを本人にぶつけるのが正解かもわかんないし、そもそも苦しいけど好き、ってほめてるかわかんないし、苦しいけど好き、っていってるけどほんとは苦しいからすきなんだよ。ほんとはね。苦しくてしんどいからすきなんだよ。

最近だした呼吸っていうepまだフリーダウンロードできると思う。から、して。きいて。

https://sanaginagi.booth.pm/items/726700

たぶんこれでとべる。たぶん。

こんなに生き辛い世の中だからこんなにだいすきな音楽がうまれてるのかと思うとこの生き辛い世の中もすきになれるかというとそれはまた別問題だよね。だよね〜。

誰かがつくったものでその誰か以外の他人が救われるのって、案外容易いんだよね。でもその誰かが救われたらいいなと思ってる。じぶんがつくったもので救われるのは他人以上にじぶんだと思う。思ってる。そうであってほしい。ていうか、じぶんがつくったものでしかほんとうの意味で救われることはないと思ってるし、同じようにほんとうの意味で救われることなんてありえないと思ってる。

まおちゃんのあげたのでいちばんあたらしいやつ、mentir、アルバムの中でも特にすきだったやつ。sonechkaもすき。ぜんぶすきです。脱線。さみしさってなんだろうなあ。聞いたら苦しくなるのに、苦しい時に限って聞いちゃうもんな。それでもっと苦しくなっちゃうもんな。刺され、刺され、心の臓まで、っていう歌詞すき。消えかかりそうな音がすき。歌詞きいてメロディきいて、ぜんぶわかったような気になるのに、なにもわからないところがすき。ちなみに前作Correaは前奏と歌詞がおわったあと、なんていうの、後奏でいいの?すごいすき。とてもすき。去年11月のボマスのエモタナコンピのアイワズは、ついったにかけらあげてたときに聞いたときからもう既にやばかったけどぜんぶ聞いてもうほんとやばってなっちゃったな。うまいこと言えないな。ほんとやばいな。やばいよ。ウウってかんじ。な。さっきのフリーダウンロードの呼吸とか。な。過剰摂取したら死ぬっていわれたらよろこんで過剰摂取する。ぜったい死んでやんないけど。毎日きいてる。YouTubeにあげてるやつは非公開のリストつくってすごいきいてる。YouTubeの評価機能の意味わかんなくない?使うけどまじで意味がわかんない。ニコニコのマイリスもちゃんと機能してる。iPodも毎日充電なくなる。うそ。それはいいすぎた。

まおちゃんにとって、生き辛さとか苦しさとか、それが原動力になって音楽がうまれてるとしても、わたしはずっと無慈悲に生きてって言うと思う。ごめんね。楽になってって言ってあげられないけどずっとだいすきです。自分もまおちゃんも生きてる間に直接ありがとうとだいすきっていいたいな。いえるかな。わかんないけど。

まおちゃんのことかこうと思ってかきはじめたけどわたしのことしかかいてない。そういえば昔本屋さんで働いてたときにだいすきなめちゃくちゃ苦しくなった漫画のポップかいていいよって言われてめちゃくちゃ愛を込めてがんばって書いたら、おまえのことかかないで内容をかけ、っていわれたな。ぜったい変えなかったけど。だってあれがわたしのかたちだもん。あれ以上ないってくらい愛を込めたもん。でも結局あんまり売れなくて返品作業で申し訳なくなった。わたしが悪かったのかなあ。

わたしの今年のスケジュール帳、ほぼ日手帳なんだけど、いちばんしたのコラムみたいなとこ、2月のなんにちか忘れちゃったけど、脚本は役者へのラブレターで、キャスティングは愛の告白、ってかいてた。脚本かいたこと非営利のいっかいしかないけど、なんかちょっとわかる、ってなった。あーあと、今日、今更一人交換日記の2巻を読んだ。この記事をかこうとおもったこと、さいあくななちゃんのこと、色々ぜんぶ偶然だけど。わたしが、誰かのことについて何かを思ってそれを言葉にしようと思うとき、それはぜんぶ愛の告白だから、これ読んで不快になっちゃっても、でもそれでも愛の告白だから。気づかなければ気づかないでいいんだけど、気持ちはちゃんとここにある。ってことをどーしてもいいたくて。

で、わたしのことをかいて終わってしまう。ずっともぜったいも、もしかしたらいつか嘘になっちゃう日がくるかもしれないけど、いまはぜんぶほんと。ほんとのほんと。まおちゃんの音楽、まおちゃんの次くらいには好きな自信あるよ、わたし。たぶん。





生き辛い世の中だよね。そう思っちゃうじぶんが毎日毎日毎日毎日いやになるけど、4月おわるまでちゃんと生きて、ありがとうとだいすき言いにいかなくちゃ。

日付変わっちゃってる。